カハヤグ琵琶湖つれづれ

滋賀で対面ヒーリングセッションを行っています。石、アロマ、音と、お料理を作るのが好きです。山や川、神社仏閣、琵琶湖に、1人訪ねる日々をこちらで綴ります。

みんな違ってみんないい@雨森芳洲:長浜高月

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琵琶湖北に位置する余呉湖(長浜市。木之本IC下車)へ涼みに行き

 

(しかし、道中の温度計さえ41度…おっふ)

 

 

そこから車で15分

雨森芳洲庵(記念館)へ。

「東アジア記念館。2017年にユネスコの「世界の記憶」へ登録。」

2019年、隣国との世相に関し、必要なお知恵がいただけると思いました。

 

雨森芳洲: 江戸中期の儒教学者。

現代のダイバーシティ意識、ジェンダー意識を経験から解いている。

当時、漢文と朝文を自由に扱い、しかも相手の文化を熟知し対等な会話が成り立っていた国内外唯一無二の人物。

新井白石の盟友。

 

芳洲の経験から記した朝鮮語入門「交隣須知」は明治中頃まで広く辞書として使用され、昭和以降からは軍が利用したという痕跡が残されています。

 

当時の日本の儒教学者の多くが中華思想を持ち、芳洲もそうであったと伝えられていますが、感情を超えた空思想で日中韓への敬愛から常に言葉を紡いでいるように見受けられました。

スタッフの方が、芳洲の持ち得た思想を

例えながらご説明くださいました。

「お偉いさんが庭を作るとなれば、当時、日本は玄宮殿(※彦根城脇)のように観賞用に整え、朝鮮は王自ら畑仕事に従事していた為に麦を植える。

それぞれの国の歴史の必要から成った結果です。

事実のみを認め、学ぶ姿勢で深めあう必要性を芳洲は説きました。」

 

 

記念館敷地前の大きな水車

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敷地内にある芳洲神社

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神社隣に「橘」の詩が刻まれた石碑が隣にありました。

芳洲の著書に随筆「橘相茶話(キッソウサワ)」があります。

 

 

橘…内緒で天皇家からのご助力もいただき

2回の江戸通いだったのかしらと

つい妄想してしまいます^ - ^

 

雨森家は

浅井家(雨森家こっち)と織田家の戦争時に

織田家に潰されたそう。生き残った人々は土地、氏を変えたらしく。

芳洲は

その時の、ただ一軒の、土地、氏が共に残った家系です。医者でした。

 

「交隣須知」の、抜粋現代語訳が1冊/1000円でお取り扱いがありました^_^

自費出版で、残り数冊とのこと。

購入🎵

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細部へ渡り、具体的対処へ詳しい、ビジネス書でした…

現代の、異文化コミュニケーションの大概は、こちらの実践で

…ほぼほぼ円滑化するよね?(°_°)💦

 

300年前のビジネス書

え、めっちゃ勉強になった!!

当時の陸軍は知ってて、結果、橘と海軍の思想を悪用したんかねぇ。

 

 

#雨森芳洲

#余呉